E前成人期(愛) 親密性(相手を受け入れる) VS 自己耽溺(自分にこもる)
思春期も終わりを告げると、同一性の感覚を適度に確立し、経済的にも精神的にもある程度の自立を獲得しています。他人の異質性を感じ始め、それを認められた場合は「相手が自分と異なる存在であることを真に認めた上で、特に異性との深い親密な関係を築く」ことになりますが、他人の異質性を認められない場合「自己の同一性にとって異質なものを排除して、人と深い関わりを持たず、自分の関与している目標にふける」ようになります。相手の異質性を認められると、異性の愛の相手やその他の人を自分の理想にあてはめようとしたり、自分の思い通りに動かそうとすることをやめて、相手が自分とは全く違う「異質」な部分を持っているということに直面したときにその異質性を尊重し、いとおしく感じて、互いに献身することができます。この異質性を受け入れることが「愛」の感覚ですが、この感覚は異性のみならず、その他の人、もの、子供など、生涯をを通じて繰り返されます。
乗馬との関わり
馬という異質なものとの関わりを通じて、その特性を認め、受け入れることができると、馬との間に親密性ができ「愛」という感覚を得ることができます。その経験を通じて子供や部下など他の人との関わりにおいても発揮され、さらに練り上げることになります。
この時期に前発達段階の同一性の獲得が薄い場合、愛という感覚を得ることはできません。なぜなら自分のことが理解できないのに他人のことを理解できないからです。同一性を高めるためには他人の目が必要ですが、異質な物体である馬との関わりにより、馬の目を通して自分の同一性を発見することができますし、そのことで馬を献身的に受け入れることができるようになってきます。
また、この時期に少年時代に獲得すべき発達段階を獲得しきっていない人がいますが、
馬との関わりは人に比べて関係がつくりやすいので、「自律性」「主導性」「生産性」などの感覚を取り戻しやすいといえます。また、同年代の馬仲間と乗馬以外の交流もあり、その中で群れ遊び的な経験をすることができ、子供の時と同じような体験をすることができます。このことは以降の発達段階でも共通していえることです。 |